大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和30年(ワ)2430号 判決 1960年8月31日

原告 深沢知加夫

右訴訟代理人弁護士 内田正巳

同 田中耕輔

被告 南海電気鉄道株式会社

右代表者代表取締役 小原栄一

右訴訟代理人弁護士 和仁宝寿

同 田中常治

主文

被告は原告に対し金一二万円及びこれに対する昭和三〇年四月二〇日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその二を原告の負担としその余は被告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

第一第一次的請求について

一、被告会社東京事務所長多田穣において、被告会社を代理して本件小切手を振出す権限があつたかどうかの点はしばらくおき、本件小切手が同人によつて振出されたものであるか否かについて判断する。

二、証人馬場義朗の証言により河野幹也の手帳であることが認められる乙第一七号証の一ないし八≪中略≫並びに弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実が認められる。

訴外河野幹也は昭和二九年夏頃光和商事株式会社の名で各種商品のブローカーのような仕事をしようとしていたが、その資金に窮した結果、同人が以前被告会社の元社長であつた寺田甚吉の秘書をしていた関係で当時も被告会社東京事務所に度々出入りしその内部事情にも明るくその職員とも親しくしていたため被告会社東京事務所長振出の小切手を利用して金融を得ようと考えるにいたつた。

一方当時同事務所においては、同所所長多田穣が同事務所の経理のため被告会社東京事務所長多田穣名義で大和銀行丸の内支店と当座預金取引契約を結び小切手を振出していたが、同人は職務上しばしば外出するため、その際には同事務所の従業員である鈴木文子に小切手用紙及び印鑑等をあずけ小切手を振出させていた。河野幹也は、右鈴木とは同女が以前前記寺田甚吉方の女中をしていた頃より面識があり、前記の如く度々被告会社東京事務所に出入していたため同女とは極めて親しくしていたので、前記の如く所長不在の折印鑑等を保管している同女をそそのかし、同事務所長多田穣の不在中同人に無断で被告会社東京事務所の小切手用紙及び印鑑等を使用して被告会社東京事務所所長多田穣名義の小切手多数を作成させた。

河野幹也は原告その他数名の者(主として金融業者)に依頼し、かかる小切手の割引きを受けて金融を得た。そして同人は多くの場合にはその支払期日にはこれを買戻し或は同様な小切手に書換えていた。本件小切手はかかる小切手のうちの一枚である。かように本件小切手は鈴木文子が同事務所長不在の折同事務所の経理のために小切手を振出すため印鑑等を保管している際に河野幹也より依頼を受け、同人に金融を得させるため同事務所長多田穣に無断で作成したものであつて、同人の意思にもとずかないものである。

以上の事実が認められる。もつとも成立に争いのない甲第五号証の一によれば、昭和二九年九月初め頃から、本件小切手と同種の同事務所の経費支払のためでないと認められる小切手が相当数、株式会社大和銀行丸の内支店に呈示されかつ支払われており、同事務所所長多田穣の保管にかかる小切手帳から正当な経費支払のために使用された小切手用紙以外に相当数の小切手用紙がなくなつていたことが認められる(甲第五号証の一の小切手番号のうち欠番になつている分には書き損じのために使用しなかつたものもあるであろうが、河野幹也が買戻したため呈示されなかつたものも相当含まれていると推認できる)のであつて、この点だけから考えると多田穣は本件小切手と同種の小切手が多数流通におかれていることを充分知つていた筈であつて、しかも全証拠によつても多田穣はこれに対し昭和二九年一二月二〇日以前に何ら対策を講じた証拠がないのは、同人が河野幹也と共謀していたが少くとも河野幹也と鈴木文子の小切手偽造行為を黙認していたのではないかと疑う余地は充分あり、又甲第三号証の一、二、同第八号証には多田穣が本件小切手の作成された前後河野幹也とともに料理屋、キヤバレー、バー等において派手に遊んでいたことを窺わせる記録があり、かつ甲第一〇号証の一(証人須藤秀雄の供述調書)≪中略≫には、同事務所長多田穣も本件小切手の振出を了知しこれに関与しているものであるとの記載或は証言があるけれども、証人多田穣及び同金請勝応の各証言と対比すると、甲第八号証は真正に作成されたかどうか疑わしく、甲第三号証の一、二は証人藤井房雄の証言により真正に成立したことは認められるけれどもその内容は措信できないから、いずれも原告の主張を認める証拠とならないし、前記甲第一〇号証の一≪中略≫は、いずれも多田穣から直接本件小切手と同種の小切手について振出の確認を得たものではなく、せいぜい鈴木文子の言動から前記のように軽信したかもしくは諸般の情況からの希望的推理又は意見であつて、証人多田穣の証言と対比した場合原告の主張を認めるには充分でない。又証人増田金一の証言によれば被告会社東京事務所における金銭出納については、専ら同事務所長に一任し本社の監督は厳格でなかつたことが認められるが、かかる点から考えると「本件小切手のような偽造小切手が出ていることを知つたのは河野幹也が死ぬ前月に同人を詰問した際同人から聞いたのがはじめてである」旨の証人多田穣の証言は必ずしもあり得ないと断定することはできず、前記甲第五号証の一も前記認定を覆し原告主張を認めるに足りない。その他本件口頭弁論に顕れた全証拠によつても前記認定を覆し原告の主張を認めるには充分ではない。

三、前認定のごとく本件小切手が、被告会社東京事務所長多田穣の意思にもとずかず振出されたものである以上、その余の点について判断するまでもなく本件小切手金の支払いを求める本訴第一次的請求は失当である。

第二、第二次的請求について

一、原告は、多田穣及び鈴木文子が河野幹也とともに本件小切手を作成したものであると主張するが、前判示のごとく多田穣は全く関与していないのであるから、本訴第二次的請求の当否を判断するには鈴木文子の行為が被告会社の被用者としての不法行為となるかどうかを考えればよいこととなる。

二、鈴木文子が被告会社東京事務所に勤務する被告会社の被用者であることは当事者間に争いがなく、鈴木文子が河野幹也の求めにより同人の金融をはかるため本件小切手を偽造したものであることは前認定のとおりである。

三、ところで被告は、被告会社の社則によれば被告会社の小切手は専ら被告会社取締役社長小原英一名義で振出しその事務は本社経理局出納課において行うものであつて被告会社東京事務所には小切手振出の権限がなく、従つて鈴木文子の小切手振出行為は被告会社の職務とはいえないと主張するのでこの点につき判断する。

成程証人増田金一の証言、同証言によつて成立を認める乙第二号証の一ないし五によれば被告会社の事務分掌上は同事務所には小切手振出の権限のないことが認められるけれども、元来民法第七一五条においてその被用者の担当する職務は企業の事務分掌規程などの内部的規則から形式的に判断すべきでなく現実の企業の運営に従つて客観的に見るべきものと解すべきである。

そこで被告会社東京事務所において小切手を振出すにいたつた経緯について考えてみることとする。成立に争いのない乙第二四号証、乙第三〇号証の一及び証人多田穣の証言によれば、同事務所における予算は月額金五〇万円であつたが、当初これを現金で保管し支出していたところ、昭和二四、五年頃より同事務所における人の出入りが激しくなり、この様に現金を保管し支出することは危険となつた。そのため同事務所長多田穣は何らかの安全な方法による必要に迫られていた折、たまたま株式会社大和銀行丸ノ内支店の勧誘もあつたことから、昭和二五年三月一三日同事務所長は被告会社東京事務所所長多田穣名義で同支店と当座預金取引契約を結び、同事務所の部屋代、電灯料、電話料等の諸経費は小切手で支払うこととし、その後本件小切手等の不正行為が発覚されるまで数年に亘つてこのような方法で同事務所の経理をなしてきたものであることが認められる。そして前認定のごとく同事務所長は職務上度々外出することがあつたので、そういう際には同事務所の従業員鈴木文子に命じ小切手用紙及び印鑑等を托して小切手を振出させていたのである。

このように被告会社東京事務所の経理のため必要に迫られて数年間に亘つて小切手を振出していたものであり、同事務所長が自己の不在の折同事務所の従業員鈴木文子に命じ小切手を振出させていたのである以上、被告会社の事務分掌上同事務所に小切手振出の権限がなかつたとしても鈴木文子の小切手振出行為は被告会社の従業員としての職務の執行というに妨げないのであり、前認定のごとくその折に本件小切手を偽造したものであるからそれは鈴木文子が被告会社の事業の執行につきなした行為といわなければならない。被用者が或る企業に雇われた場合には被用者がその職務の性質上、通常発生すべき危険ある行為を為した場合にも、使用者は、その行為に因つて生じた損害につき、責任を免れないのである。

尚被告は鈴木文子の本件小切手作成行為は河野幹也に脅迫されて止むなくなしたものであると主張するけれども、かかる事実を認めるに足る証拠はなく、この主張は採用することができない。

四、成立に争いのない甲第五号証の一、証人吉田かよ、同組橋以誠の証言及び原告本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)によれば、河野幹也は昭和二九年一二月一五日原告に対し、自分は被告会社の広告放送である「五目めし」というラジオ放送の代理をしているがその放送料が三ヶ月位先でないと出ないので本件小切手を振出してもらつたから割引いてほしい旨申し向け、同時に本件小切手が真正なものであることを信用させるために本件小切手と同様な方法で作成された金額一、〇〇〇円の小切手を印鑑照合用として原告に交付しこれを大和銀行丸の内支店に呈示させて支払を受けさせ原告をして本件小切手を真正なものと信じさせこれが割引きを依頼した。原告は以前に本件と同様の小切手が支払われたことがあることと、右印鑑照合用小切手が支払われたことにより本件小切手を真正なものと信じてこれを割引き本件小切手と引換えに金三七万六千円を河野幹也に交付したことが認められる。原告本人尋問の結果中には更に高額で割引いたものであるとの供述があるが、これは措信しない。右認定事実によれば原告は右割引額と同額の損害を受けたものというべきであり、この損害は被告会社従業員鈴木文子が本件小切手を偽造したことによつて生じたものと認めるのが相当である。被告は原告には損害が発生していないと主張し、或は鈴木文子の行為と原告の損害には相当因果関係はないと主張するが、すべて理由がない。

五、然しながら、「前記のとおり原告は本件小切手を割引くに際し河野幹也より本件小切手とは別に被告会社東京事務所所長多田穣振出名義の金額一、〇〇〇円の小切手を受取りこれを前記大和銀行丸ノ内支店に呈示して支払いを受けて本件小切手の印鑑を照合したのみで、被告会社東京事務所に問合わせる等本件小切手が真正に振出されたものであるかどうかを確めるための適切な措置をとらなかつたことが認められる。

本来被告会社のごとき大会社が一ヶ月にも近い先日付小切手を振出すことは異常であり、又河野幹也がかかる小切手を所持する理由として説明したことも、疑えば疑う余地の充分あるものでありこれが真実でないことは少し調査すれば直ちに判明することであるから、被告会社東京事務所に問合わせる等本件小切手が真正に振出されたことを確認する適切な措置をとらなかつたことは原告の過失といわなければならない。このことは訴外公文寿亀、同庄司重太郎の二名までも訴外河野幹也から本件小切手と同様の小切手の割引を依頼されたが直ちに不審を抱いてこれが割引を拒絶し被害を免れた事実(この事実は証人多田穣の証言によりその成立を認めることができる乙第一一号証、同第三三号証によつて認められる)によつても明かである。

六、よつて原告の請求する損害賠償の額に原告の右過失を斟酌するときは、被告の原告に対する損害賠償の額は金一二万円に減額するをもつて相当とし、これに対する本訴状送達の翌日であること記録上明かな昭和三〇年四月二〇日より完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度において原告の請求を認容し、その余の請求はこれを棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第九二条によりこれを三分しその二を原告の負担としその余は被告の負担とし、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 鉅鹿義明 近藤和義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例